[自己主張]
※私は障害ではなく、障碍という字を使っています。何故かは、談話室の身体障害者・高齢者介護の話題を見て下さい。
世の中には様々な偏見があります。
特に障碍者に対しての偏見が多いような気がします。
障碍を持っている方に、頑張れと言う事。
素直な感情なのかもしれませんが、私の場合、障碍は個性だと思っています。
視力の違いや、髪の毛や肌の色の違いといったように考えています。
眼鏡をかけていたり、髪の毛の色が違う人に頑張れとはいいませんよね?
目が見えない人の為にある点字ブロックの上に自転車を置いたりなど、
知らない事が偏見を生むのかもしれません。
しかし、その逆もあります。
知識があるばかりに、答えを見落とす場合もあるのです。
ある自閉症児施設での話です。
その施設には、A君という自閉症児がいました。
ある日、施設にボランティアの人が来て、A君と遊ぶ事になったのです。
自閉症には様々な症状がありますが、
ボランティアさんは職員さんに、
「A君は自分の世界に閉じこもり、周りにあまり感心を持たないんです。」
と聞かされていました。
そしてボランティアさんが、A君と数時間遊んで、
帰る時に、職員さんにこう言いました。
「A君は耳が聞こえないんですね。」
それを聞いた職員さんは、
「いえ、耳が聞こえないのではなくて、自閉症の症状なんですよ。」
と答えました。
どうしても納得のいかないボランティアさんは、
本当にA君は耳が聞こえないのだと必死で考えを伝えました。
それを受け、職員さんは、今度、主治医の先生にちゃんと診てもらうと答え、
検診した所、A君は重度の難聴と言う事がわかりました。
そうです。A君は自閉症では無かったのです。
難聴の人ならば、別の教育を受けなければなりません。
大切な学習の時期に、学べなかった事は、
A君の将来にも大きな変化をもたらす事にもなります。
長い間、難聴に気付かなかった職員さんや、医師にも問題はありますが、
知識や経験があるばかりに、偏った見方しか出来なかったのです。
つまりA君に対し、偏見を持っていたという事になります。
自閉症に関して、知識も無いボランティアさんが発見したのです。
知識が無いのならば、知識を付け、
知識が付いても、慢心せずに様々な視点から見る事が、
偏見を無くす事に繋がるのではないかと思います。