「私の考えは被害者の方に通用するのか?」と思い、もし、自分の家族・恋
人が少年に殺されたとしたら、と考えました。
・・・おそらく私は犯人を憎み、殺してやりたいと思うでしょう。この感情
は避けられないと思いました。
ただ、その後私はこう考えるはずです。まだ10何年しか生きてない、そん
な人間の命を奪うことは、果たして「やっていいのか?」と。被害者の命が
尊いのなら、それは加害者の命もまた尊いということなのです。命は尊いの
です。
だから私は、少年の人格を殺します。
少年を犯罪に向かわせた悪の人格を殺します。悪の人格を殺す、つまりこれ
が「矯正」なのです。きっと「矯正」とはこういうことなのだと思います。
《罪を憎んで人を憎まず》なんです。
私は少年・青年期に人格の分裂のようなものを経験しているので、こういう
悪い人格を殺すという発想は自然なんですけど、きっと芯の通った性格をお
持ちの方はなかなか理解しにくいかもしれません。しかし、少年・青年期の
心というのは恐ろしいほど変化します。そして、犯罪を犯すということは、
影響を受けやすいということも意味してると思うので、矯正の影響も受ける
可能性が高いのです。
しかし、被害者側は少年の更生に賭けるわけなのだから、その処遇状況を知
る権利は絶対的に付与されるべきです。私も被害者側になった場合は、自分
の目で、鼻で、手で本当に更生されたか確かめなくては絶対気が済みませ
ん。で、もし更生されずに出所してきた際には、実際に殺すかもしれませ
ん。正直そうなった場合は自分でも自信が持てません。これは現実的ではな
いかもしれませんが、でも出所後に何かしらの試練を与えないと矯正効果は
UPしないこともまた事実なのかと思います。それでも私は矯正の可能性を
信じているので、必ずチャンスを与えるつもりです。
「少年の可塑性」なんていうと、「大人にも更生の可能性はあるじゃない
かなぜ少年だけ待遇をするのか?」とかおっしゃる方もいますけど、もち
ろん、少年の方が可塑性は高いのは事実だと思いますが、それよりも何より
も「子供は宝」なんです。この漠然とした感覚が、少年保護の核心だと私は
思います。だからこの感覚を法律化した少年法が私はとても好きです。適用
年齢の引き下げなんかが進められてますけど、いずれの時か、少年法撤廃な
んてことが起きたら、その時は日本は終わってるでしょうね。
話が相当ずれてしまいました。「被害者側の要求と矯正」についてぜひ聞か
せてください。