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誰が、何が、幸せであるかを理解する

記事 255 by
 楽しいことばかり追い求めて得られる主観的(客観的)幸せは欲望を満足させているだけの一時的な快楽に過ぎない。

それが幸せだと思っても本当に幸せだとは限らないし、不幸だと思っても本当に不幸だとは限らない。
言い換えれば、楽しい経験=幸せとは限らないし、苦しい経験=不幸とは限らないということだ。

 例えば、労せずいきなり大金を手にし大学を中退、タワーマンションに引っ越し、悠々自適に好きなことばかりして楽しく過ごす一人暮らしの20歳の若者。この人は幸せなのだろうか?子供の頃に父を亡くし、母子家庭となる、母と兄弟一緒に狭いアパート暮らし、家が貧乏で学費が払えず働きながら自分で学費を稼いで夜間大学に通う20歳の勤労学生。この人は不幸なのだろうか?

 人は、楽しい経験ばかり重ねるのではなく、苦労や悲哀体験も同等に重ねていかなければ、自分を知ることもできないし、他人の心の痛みにも共感できる(他人の気持ちに寄り添える)ようにはならない。

誰が、何が、幸せであるかは年輪を重ね、酸いも甘いも噛み分けられるようになって、ようやく理解できてくるのではないだろうか。要するに、良いことも悪いことも含めて、たくさんの人生経験を積み重ねた後になってみなければ、今の自分が(他人が)本当に幸せかどうかなんて分からない。

分からないからこそ、今が苦しいから(他人が苦しそうに見えるから)といって、即「不幸だ」というレッテルを貼るようなことはしないよう気をつけたい。
To:ぶんちゃん

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2013年8月6日(火) 13時28分 1件目のコメント
コメント 273 by タカ
>>255
幸せは、個人の意識で判断されることだと思う。人と共感できることは、素晴らしいことだが、同じ経験をしないと理解できないのだろうか?いや、例え同じ経験をしたから同じ気持ちになれるとは思えない。人を理解した気持ちになるだけ。決して、貴方は他人と同じにはなれないのだから。
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2016年5月12日(木) 15時53分違反通報親記事 2件目
コメント 274 by ぶんちゃん
>>273
 人と同じ経験をしなければ、人の気持ちなんて理解できないというようなことは一言も書いていなかったのですが、伝えたかった意図と違って伝わってしまったようです。言葉足らずで誤解釈させてしまってごめんなさい。

私は、「楽しいことばかりじゃなく、楽しかったこと同じぐらい苦しいことも経験したあとじゃないと、それが本当に幸せなことなのかどうか分からない」ということを書いていたのです。

自分が今幸せだと思っていても、他人が今幸せそうに見えていても、その幸せは一時の快楽であって本当は不幸の始まりなのかもしれない。本当にそれが幸せなのかどうかは、人生経験を重ねたあとでないと(極端に言えば自分が(他人が)死ぬ間際まで)分からないですよということなんです。

苦労を避けて楽しいことばかり追いかけ満足するのではなく、苦しいことも楽しいことと同じぐらい経験した方が良いということが言いたいのです。
苦労を知ることで今感じている幸せが本当に幸せだと実感できると思っています。

 何も苦労を知らずに生きていたら、他人にも共感することができない、または他人を理解しようとすらしないようになるかもしれません。

他人と全く同じ気持ちになんかなれるはずがありません。共感というのは全く同じ経験をして全く同じ気持ちになるということではありません、少しでも他人の気持ちを理解しようと寄り添える、上辺ではなく他人の言うことに本心から聴く耳を持てるようになるということなんです。
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2016年5月13日(金) 1時59分違反通報親記事 3件目
コメント 275 by ぶんちゃん
 私は2年連続で両親を亡くし、しばらくして認知症となった心臓病を患う祖母を3年間介護しました。(のちに転倒骨折して歩行困難となり、入浴や排泄についても完全介助が必要となりました)

 それを聞いて「大変でしたね」なんて言われることが多いですし、不幸だと思う人もいるかもしれません。

しかしながら、介護をすることは全然苦痛ではありませんでしたし、不幸でもありませんでした。労力的に大変な時期もありましたが、大変だからといって不幸だとは限りません。感謝していた人の介護ができるということは、恩返しができるということなので、むしろ幸せなことだと思っていました。

本来は両親が主としてやっていたであろう祖母の介護かもしれませんが、私が両親に代わって祖母を介護することは、親孝行にもなっているんだと思ってやっていました。親孝行と祖母への恩返しが同時にできていたんです。

祖母はもう亡くなってしまいましたが、今でもまだ介護をしたいと思っていますし、まだ返し切れていないので、もっともっと恩返しがしたかったです。今思えばあの3年間の私は本当に幸せでした。

そうです、他人から不幸に見えても本人は不幸と思っているとは限りません。
ただし、私が幸せだと思っていたのは当時の思いであり、本当に幸せだったのか不幸だったのかは、これから先、何年もたってみなければ分かりません。この経験を活かし、未来の幸せにつながるような生き方をしていきたいと思います。
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2016年5月13日(金) 2時24分違反通報親記事 4件目
コメント 276 by タカ
>>274
 確かに楽しいことが続けば楽しくなくなるものです。苦しいことや辛いことがあると何でもないことが幸せだと感じるものです。
 そうなると幸せを感じることは、その人の自由意志ということです。
「苦労を避けて楽しいことばかり追いかけ満足するのではなく、苦しいことも楽しいことと同じぐらい経験した方が良いということが言いたいのです。
苦労を知ることで今感じている幸せが本当に幸せだと実感できると思っています。」このことはあくまでもぶんちゃんの考えで、そう思わない人もいる。私は、人の感じ方はそれぞれ違っていいと思います。「苦しみを知らないといけないとか、沢山の経験した方がいい」というのはぶんちゃんの考えで、実際は「苦労をせずに楽をしている人もいて、お金持ちもいて、そうゆう人もそれぞれの幸せがある。」まさに、幸せは人によりけりということです。
 私は、「幸せ」という人の感情に根差したものは、統一した価値観で決めるべきではないと思うのです。
 誰がどんなことを「幸せ」であるかを理解することは、人の幸せは千差万別だということを理解すればいい。ただ、それだけである。
 その上では、何かしたいのなら、それぞれの人がそれぞれの幸せを感じることができる基本を作っていくことだと思う。戦争や飢饉、紛争、迫害などない社会でないとすべての人が幸せを感じる自由意志を保障できないからです。
 
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2016年5月14日(土) 2時32分違反通報親記事 5件目