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733 たかさん。
周りの人が出来ること・・・・。
とても難しい内容ですね。
ちょっと私も書かせてもらいます。
私も過去に心を病んだ経験がある者です。(比較的最近)
最初は通院していましたが、効果がなく、自己治療(自宅療養)に切り替
え、時間はかかりましたが、結局治ってきてしまったという経験の持ち主で
す。
一般的に、鬱などの心の病にかかったら、周りの人の理解が必要という事は
よく云われています。
どの本を見ても必ず書いてあるのではないでしょうか。
でも周りの人の理解って一体何なのでしょうか。
私の場合、つまり、あくまでも自分の場合の話をしますね。
当時の自分が、家族の者に理解を求めていたかどうかを振り返ってみると、
実は、理解を求めるほど余裕が全くありませんでした。
何を求めているの?
どうしたらいいの?
もしそういう風に問いかけられても答えられなかったと思います。
自分ですら自分が何を求めているのか、どうしたいのか、解らなくなってし
まっているからです。
本当の戦いはそこにありました。
ただ、やはり
「普段の生活では辛い時にも少しでも何かしてみる方が良い。」
というような正論は、周りの人から云われれば云われるほど辛かった記憶が
あります。
何故なら、周りからは見えなくとも鬱状態で家に閉じ篭って朝から晩まで
(夕方から朝までという人も?)その
「辛い時にも少しでも何かしなくちゃ」
とか
「自分のこれは実は甘えているんじゃないのか?」
ということを一番気にして自問自答して気が狂わんばかりに考えているのは
当の本人だからなのです。
では、そんな時、何もしない方がいいのでしょうか?
自分に甘え続ければ良いのでしょうか?
私の場合は、あくまで個人的な考えで云えば、何もせず、自分に甘え続けて
みる必要があるのではないかと思います。
本意としては、自分に甘えていても結局辛いし、何もしないのも結局相当辛
いということを理解することだと思います。
どこへ行っても完璧に甘えられるような場所は無いと、早く本人が自分で実
感するのが必要です。
これは意外と難しい事です。
周りからはそう見えないのが悲惨なところですが、本人は実は心の中で最初
からずっとひとつも甘えていないと思います。
自分に甘える方法を知らないのです。
どっちつかずな行動は他人からは、結果的に甘えているとしか見ることが出
来ないだけなのです。
一旦、ちゃんと自分に甘えてみる。
甘えられるのか?
それで果たして本当に良くなるのか?
自問自答の世界ですね。
結局それよりも、しっかりと自分に厳しくするフリをして、実は誰にも見つ
からないように巧く手を抜く。
ちゃっかり息抜きをして、方の力を抜いて、でも息抜きなんかしていないよ
うに振舞う。
(悪い意味でとらないでくださいね。)
こういう、賢い生き方が、結局は自分にとっても良い方法なんだと自ら体で
感じ取ることが出来れば、きっと自然と治るのではないかと思います。
そして、これは
開き直りでもなんでもありません。
(そういう見方もあるかもしれませんが・・・。)
そんなことを自ら考えられる生活をなるべく濃く送ることが出来るようにし
てあげることが周りの人の一番のサポートなのではないでしょうか。
本人が、自ら、体で感じ取れる日まで、許されるのであれば時間をあげても
良いのではないでしょうか。
結局時間ですか。
でも、一点だけ。
なるべく外に出かけるようにした方が良いです。
私の場合、一人で車で延々と走り続けてみました。
かなりの遠出もしました。
出発するまでは大変でしたが、でかけると、悩んでいる自分が一瞬夢だった
ように錯覚し、以前の自分に戻ります。
でも、何時間も車で走っていると、段々自分が独りである事、行き先もわか
らず彷徨っている、つまりは今の自分と変わりの無いこと事に気づき始めま
す。
帰ろうと思っても、夜の高速道路の渋滞でなかなか家路につけなかった時。
家にやっとたどり着いて、ほっとした時。
結局どこに居ても、どこに行っても自分は同じだと本当にその時に感じ始め
ました。
なんだか、自分の消費しているエネルギーの方向性を少しずつ変えていこう
と、気づき始めた気がします。
この、車の一人旅を週2〜3回、1ヶ月くらい続けた時に、何か自分の中で
進むべき方向というか、正確に言えば、進むべきじゃない方向が見えてきた
ような気がします。
ここら辺の自己行動療法は、人それぞれですけどね。
こんな行動でも、家に帰って来た時、まるで自分の為すべきことを頑張って
やってきたかのように
「おかえり〜。」
「おなかすいた?ご飯食べる?」
という普通の家族の声があると、本人は「理解されている」自分の環境に、
はっとして、涙が出たりなんかするものなんですけどね。
私がしてもらった家族からの理解とは、そういうものでした。
病気のこととか、今の症状とか、治療方法とか、そういうものは家族の者は
最後まで理解に苦しむことが多々あったとの事でした。
でも、私自身は振り返ってみると、やはり家族の者は相当理解してくれてい
たんじゃないかと思います。幸せなことです。
いやはや文章長くてすいません。