かまぼこは、平安時代前後から食べられていたそうです。
何の棒か知りませんが、棒の先に、魚のすり身をつけて火であぶって
食べていたそうです。
その形が、蒲(がま)という植物の穂ににていた為、当時は「がまのほ」
と呼ばれていたそうです。今で言う秋田のきりたんぽのような形ですね。
それを棒から取り外すと、今のような竹輪に似た形になりますね。
時代が流れるにつれ、呼び方が変わってきて、「蒲の穂(がまのほ)」が、
「蒲穂子(がまほこ)」となり、「蒲鉾(かまぼこ)」と呼ばれるように
なって今に至るそうです。
ただ、かまぼこというものは、高級品だったらしく、大名や旗本などの
偉い人しか食べられないものだったそうです。それが江戸時代中期以降に
なって武士→商人→町人へと広がり、下級人でも食べられるようになって
きました。
幕末になってきて、下級の武士は、かまぼこすら食べられないような状態
にまで、貧しくなってきました。時代がかわったのでしょう。
それとは逆に商人などが裕福になり、贅沢な食事をするようになりました。
商人にとって、かまぼこすら贅沢なものではなくなったようです。
そんな商人に対して、下級人の分際でかまぼこを食べるとは何事だと、
そんな嫌味をいう武士がいたそうです。
そんな武士に気兼ねして、かまぼことは呼ばず、隠語をつかって呼ぶ
ようになったそうです。
当時のかまぼこは、今の竹輪のような形なので、その切り口が竹の輪の
ようだということから、竹輪(ちくわ)という隠語がうまれました。
もともと、今の竹輪の形が、蒲鉾(かまぼこ)だったようですね。
基本的に庶民の方が人口が多いですから、蒲鉾という名称よりも、
竹輪という名称の方が世に定着してしまったようです。
その後、板に貼り付けて蒸した形のものが、蒲鉾と呼ばれるようになった
とさ。だから、ちくわもかまぼこも元々は同じ物。
「ちくわ」は、昔の呼び名が「かまぼこ」だったということですね。
「ちくわ」は、かまぼこの隠語です。
今の調理法では、火であぶったか、蒸したかの違いだけですね。
見た目も調理方法も違うし、見た目が違うものに同じ名前をつけても
なんやしとうことで、違う名称で今は呼ばれているのだと思います。
正しいかどうかわかりませんが、こんな伝説があります。