Bar『夜の女神』にて
男2人で行くには場違いな酒場 夜の女神とはギリシャ神話に出てくるNyx=ニュクスと言う神のことだろう。ドアを開けると死神が持つ大きな鎌が無造作に置かれている。
マスター:いらっしゃいませ 好実さん久方ぶりですね! しごと?これ?(手で合図する)
よしみ:(手を振りながら)違う、違う 車で来れないでしょ! マスター、行ってる?(手で素振りする)
マスター:ええ、此間リンクスへ行ってきました。よく飛んだんですが、風で流されてみんな海に入っちゃいましたよ、ハハハ。 何にされます。
よしみ:いつもの_ ロングで_ Yは? ジン・トニック
マスター:かしこまりました(ペコ)
カウンターの前の棚には300種類のお酒の瓶が並べてある。奥に大きな窓が有り、二階にもかかわらず港を照らす明かりがチラチラとするだけで外の喧騒とは別世界の場所だ。遠くに珍しく灯台らしき明かり漆黒の海を照らし出す。ふと、Kのことを思い出した。住まいはこの近くのはずだ。携帯を取り出しKを呼ぶことにした。
マスター:お待ちどうさま スクリュー・ドライバーでしたね

とジン・トニックです。
Y:それじゃあ、乾杯! どこに電話してたんだ。
よしみ:前に一緒に(素振り)行ったじゃない、K子。この近所に住んでるって行ってたから、来ないかなと思ってさァ。
Y:それで_来るって?
よしみ:うん、Yは来ると思う? 賭けようか?
Y:おーいいよ 俺は来る方に賭けるね。で、何を賭けるんだ?
よしみ:ほぉ、それじゃ私は来ない方にしよう、コレ(グラスを指差す)でいいじゃないか。負けたほうが持つ

Y:う、う_ ということは来ないのか?
長いカウンターには席が20、あとは10人程度のテーブルがひとつ。壁には<落穂拾い>だろうか、印象派の絵が掛かっている。カウンターの奥には金色の取っ手のビールサーバーが取り付けてあった。初めてここに来たのは、仲間と近くの居酒屋で飲んでその居酒屋にいたU子がたまに来ると言うのでつれて来てもらったのだった。それから月に2,3度は来てマスターとすっかり仲良くなっていた。あれからもう1年経つのか_U子。
ドアが開きクリーム色のショールに身を包んだK子が入ってきた。
Y:遅かったじゃないか。
K子:ごめんなさい、子供が寝ないもんだから・・・
よしみ:来てくれてありがとう

Kちゃん、何にする?
K子:私、こう云うとこ初めてなの。よしみさんにお任せするわ。
よしみ:マスター、バージン・メアリー。それと私はおかわり_
マスター:かしこまりました
K子は私より9つ下なのだが、小柄で髪をショートにしているせいかもっと若く見える。ましてや子供がいるなんてとても思えない。それでも手を見るとやはり苦労していることがわかる。そんなことは億尾にも出さず明るい振舞うK子に惹かれてる心を感じ始めていた。
Y:よしみ、悪いけど 俺そろそろPubにいかなきゃいかんのだ。お前はどうする?
よしみ:私はもう少しここにいるよ。
Y:そうか、足が困ったな。
K子:Pubなら知ってるから、私行こうか?
Y:何クルマで来た? それじゃ、頼めるかナァ(ニヤ)よしみ、ちょっとKちゃん借りるからな

よしみ:ああ、どうぞ。わたしはもう暫らくここにいるよ。
Y:じゃあ。マスターごちそうさん

よしみ:それじゃぁ。
マスター:ありがとうございました。
マスターは他の常連の相手をしていた。一人になった私は、棚に並べられたおさけのラベルをぼんやり眺めていた。ちょうど、ここでバイトをしているAいチャンが私の前にきてくれた。
Aい:よしみさん、昨日オーストラリアでホームスティしてる友だちからこんなの送ってきたの。
よしみ:(手にとって)ブーメラン? 実物はこんなふうなんだ。
Aい:知ってる? ブーメランの意味。
よしみ:狩りにつかうんだろ? 獲物に当てて倒す、ブーメランは投げた狩人のもとへ帰ってくる。意味は_ ウーン、降参

Aい:コレを持ってると大好きだった人が遠くに行っても帰ってくるんですよ。私も手紙で友達に教えてもらったんだけど_(ウフッ)
よしみ:ほぉ、それは素敵なお話だね

コレは何で出来てるんだろう? 骨かな?
Aい:エミューという鳥の骨らしいですよ。アボリジニが持ってたものを手に入れたそうです。ここに文字が彫ってあるでしょ。なんて書いてあるか分ります?
よしみ:どれどれ(眼鏡を外す)ほんとだね、文字じゃなく数字かもしれないね。獲物を仕留めると一つづつ増やしていくんだよ。ほら、此処。
Aいちゃんと話してるときにドアが開く音がした。誰が入ってきたかわかっていたが振り向きもしなかった。K子はそーっと私の横にすわり飲み掛けのグラスに口をつけた。
K子:何のお話していたの?
よしみ:はやかったね。 いや、退屈だったからAいちゃんにブーメランの意味を教えてもらってたんだよ。
K子:いみ?
よしみ:うん。もういっぱい飲まない?
K子:私もよしみさんの 飲んでみようかしら_ でもそんなに飲めないわ。
よしみ:マスター、スクリュー・ドライバーをひとつ。それを半分づつにしてくれる?
マスター:いいですよ

よしみ:もう来ないかと思ったよ。
K子:だって、よしみさんに呼ばれたんだもの_

マスター:おまたせしました、どうぞ。
よしみ:もう一度乾杯だね。ブーメランに乾杯!
K子:??かんぱい。
K子の何気ない仕種が洗練された大人の女性を思わせる。生活の匂いなど感じさせない。それでいてあどけない笑顔がアンバランスな気がしてくる。ひょっとして<夜の女神>というのはこう云う女性だったんだろうか? 灰皿にサイコロが入っていたのを取り出し転がしてみる_
K子:私、そろそろ帰らなきゃ_
よしみ:そうだね、いこうか。マスター、勘定ここに置いとくよ。
マスター:行ってらっしゃいませ(ペコッ)
ドアを出てK子の肩を抱いた小柄な体は腕の中へすっぽり入りそうなくらいだった。
K子:今日はごちそうさまでした。
よしみ:それじゃ。 私の右手には波動があるんだよ。
K子:じゃァ、牛を倒しちゃう(うふ)
よしみ:そこまでのパワーはないけど、右手では握手しないんだ。
右手を差し出して、K子と握手を交わす。K子はどこに帰るんだろう?ふとそんなことが頭に浮かんだ。シーンと静まり返った闇の中へと消えてゆくのだった。
〔完〕