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5432012年12月27日 木曜日 13:00
Mさんのマンションのリビング奥のソファーへと案内された私と妻は、自己
紹介もほどほどに彼女の話を聞いていました。
『あのね、3〜4日前から外国の僧侶みたいな方がリビングに来るようにな
ったの。それも入れ替わりたち代わりで何人も。
彼らは名前を告げるのだけれど、何しろ外国のお名前でしかも皆長い名前な
のでいちいち覚えてられないのだけれど、曰く「我らはゴーダン(?)の弟
子である。彼へ伝えるため我らの師に使わされてここへ来た。」と。
つまり、自分たちはお釈迦様から命を受けてきた弟子だと名乗るのよ。』
そこでM女史はいろいろな話を聞いたり映像を観せられたりしたのだそうで
すが、いったいどこの誰に伝えれば良いのか訳が分からなかったそうです。
だから話が一杯あるのにチンプンカンプンでよく覚えていないのだけど。
と言いながら、彼女は語り出しました。
『彼は釈迦族でもあり、我らと同じゴーダンの弟子でもある。
彼が我が師へ弟子入りしたときには既に師は晩年であった。
彼は自分の生き様を世の人々に見せることにより、人々を導こうとした。
あるとき、彼の行いに対し、我が師が「そのやり方では迷う人々も出るであ
ろう。違う方法で人々を導きなさい」と言われた。
彼は師に言われたことを気に病んだが、しばらくのち我が師は没せられた。
彼は師から学ぶ期間が短かったために、今もそのことを後悔しているのだ。
師の言葉を彼に伝えなさい。
もうあなたはそのことを気にする必要は無いのだと。解放しなさいと。』
『自分のすべき事を彼に知らせなさい。』
『そして伝えなさい。道は無いのだと。』
『ね、チンプンカンプンでしょ?』とM女史。
『私は言われたことをそのまま相手に伝えるラジオの機械みたいなものな
の。その言葉の意味は私には解らないのよ。ただ伝えるだけ。
そして今回は、そもそも誰に伝えれば良いのかさえ解らなかったのだから。
だから、今日あなたがここへ来てくれて、私もやっと熟睡できるわ。
どうでしょうか?意味がわかりましたか?』
私は大きくうなづきました。
自分が何をすべきかを知っていて、道が無いことも知っていました。
答えを求めてさまよっていたのに、答えはすでに知っていました。
M女史は私の妻を抱きしめて、『本当にこの方を頼みますね。あなたがこの
方を助け、励まし、この方が役目を全うできるよう宜しくお願いします』
と励まされています。
そして私に向かい、
『あなたは何故自分の力を解放しないの?その力を使えば良いのに。
あなたには、その力があるというのに。役立てないとダメでしょ?』と。
私もそのことは解っているのですが、何故か自分で制御しているのです。
そのことが『もう気にする必要は無い』ので解放しても良いということなの
か、自分でその時期を待っているということなのかは未だわかりません。
『あのう、最後に「龍」の話ですが。』
と、私は切り出しました。一応知りたかったのです。
『ああ、龍ね。あなたを彼女と引き合わせ守っているのですよ。
倒れちゃったの?
そりゃそうよ、だって人間と龍では波長が全く違うものなのよ。
その波長の違う龍があなたの中に入ってきたのですもの。大変よ〜。
だから解ったでしょ?私たちの仕事の大変さが。』
このことは、M女史の2013年元旦のブログに少しだけ書かれています。
それより何より、このとき伝えられた言葉のひとつひとつが納得のいくこと
であって、既に自分自身で解っていたことの見極めでもありました。
人が本来歩むべき道
仏教伝来以前から我々日本人の心の中には神道が染み付いています。
この自然崇拝の神道があったからこそ、度重なる震災の折でも日本人は謙虚
さと冷静さを忘れず、世界中の人々を感動させたのだと思います。
海外の方々は日本人の思いやりに、本当に、本当に驚いたのです。
だからこそ、いま私は本業の傍ら、海外の方々を少しでも迷いから救うた
め、本来の人の生き方を伝えるため前へ進んでおります。
私は、以前も会社勤めの傍らにやった事で、ちっぽけなたった1人の人間の
思いが世界を変える事ができるという事実を身を以て知っている者です。
だから、あなた1人の行動でも世界は変わる事が出来るのです。
独りだから変えられないなどと思わないで欲しいのです。
このページをご覧になっているあなたも、今これを読んでいるということは
決して偶然ではありません。
これも一つの啓示だとお考えになってくだされば幸いであります。
今まさに私たち人類は大きな帰路に立とうとしております。
もしかしたら、多くの災難が待ち受けているのかもしれません。
しかしそれは、たとえば山火事のあとに多くの新芽が芽吹くということで
す。命が命を繋ぐのです。命は受け継がれて行くものなのです。
龍が豪雨をもたらし、川を氾濫させ、土を剥ぎ取り、人々に試練を与えるの
も浄化の一つだと考えて欲しいと思います。被害に遭われた方々には心から
同情いたしますが、人間に乗り越えられない試練などというものは存在しま
せん。試練はチャンスだと思ってください。
そうして人は、生かされていることの意味や喜びを知るのだと思います。
そしてもう一度、人の生き方とはどうあるべきか?ということを思い出して
いただければ幸いであります。
あなたの心はそのことを既に知っているはずです。
長文、乱筆、失礼いたしました。