コロナ禍という言葉が定着している。しかし何を基準に災いというのか?
社会は”死”を不幸とする前提でそれを避けることを目指している。だが、すべからず人は死を迎えるものであり、高齢者が風邪をこじらせて肺炎でなくなる事象は極めて自然なこと。肺炎は死因の上位であるし、インフルでも毎年3000名弱が死亡していた。日本では年間200万人が死亡し、代わりに新たな命が誕生することが正常な社会であり自然な姿である。
コロナ禍の2020年、実は死亡総数は前年を下回り、一方出生数が大幅に減少したということが数字から見える現実だ。
コロナばかりをクローズアップして、それを避けるために社会を閉め、経済を止め、教育の機会を奪い、借金ばかり増やすことは、目先に囚われ大局的な将来的な重要なことを見落としていると言わざるを得ない。コロナ禍とは漠然とした不安に根ざした思い込みである。感染症対策の2類から5類に位置づけを変えて、過剰反応をやめるときである。
おしゃべり掲示板!みんなの話題共有サイト
みんなの疑問、質問、相談、体験談、意見、情報が誰かの役に立っています。