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863 guoo 様 こんにちは。
私の場合として書いてみます。
一番には、相性が悪かったことにつきると思います。
それぞれに違った者同士で生活していたら、お互い幸せであったかも。
お互いに求めるものを(夫は丸ごと抱えて面倒みてくれる相手を、私は子煩
悩な人間性のある人を望んでいたのではと思いますが、残念ながら自戒も込
めて自分自身が深く考えていませんでした。)もっと良く知るべきでした。
それから、子供がいたから離婚しなかった? は、時には感情的に思ったこ
とはありましたが、本当にはそうではなく、いつも夫と私の問題した。
感性とか、理想とかない夫との生活が苦痛ですし、意思疎通がうまくできな
いのが寂しいのです。
母の本意ではなく父が戻る道をなくされ、農家の働き手として私たち子供を
夫のいない家で育てたわけですが(どうしてそんなに我慢するのと思うほど
過酷な境遇でしたが、私もguooさんと同じようにもっと主張すればいいの
に、どうして言われるがままなのと母を否定した時期もありましたし、あま
り母の力にはなってやっていませんでした。)在る時ぽそっと言った一言、
父さんが好きで一緒になったんだものと、晩年に自分は幸せだ、子供たち皆
がちゃんとやっていてくれるからと言っていました。母の葬儀のときに、叔
父が哀れんで 何のために生きてきたんだか と呟いていたのを聞いて、母
は母なりの幸せの見つけ方をしていたんだから と一人心で叫んでいたこと
を思い出します。(哀れに思われて生きるのは一番悲しいことですから。)
お答えになるかどうかわかりませんが、誰しもが自分が一番可愛いわけで
子供のためとかではないんですね。どこかで計算ありの、誰かのせいにして
自分を楽にして生きるんです。いろんなことを言いつつ深層心理では自分中
心に、自分があまり傷つかないように自分に甘めに決めているんです。(そ
うしないと気がおかしくなりそうで、精神安定剤でしょうか。迷惑な話です
ね。)夫のせいで子供がとは思うことはあっても、子供のせいでこうなった
と思うことはないんです。本気で別れてしまいたい時にはお金の計算はする
と思いますが、心は計算できないんだと思います。
誰かのせいというよりも、それぞれが良き相談者を持たなかったことが残念
です。(特に夫側。聞く耳を持たないので困ります。)
私が母の言葉を良よく理解できて母を本当にいい母だったな、今一度会っ
て話をしてみたいなと思えるようになったのは本当に最近なんです。
それもお父さん子だった友人が、父が好きで母はあまり好きではなかったけ
ど、今になって洋服を作ってくれたこと、母が作ってくれた団子汁が美味し
かったことなどを話してくれたときに、自分の母もこんないい人だったなん
て思っているんです。
guooさん、私が今していることは、私が幸せでいられるために少し頑張ろう
と思っているのです。
過去には決してもどれないし変えることができないんですよね。ならば振
り返るのはちょっとだけにしてこれからは、今日と明日のために少しだけ
夫改造を心していこうと性懲りも無くやっております。