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243 自分の創造者という視点で考えるといろいろ見えてきました。
自分(人)が生きるためには、生まれなければならないですが、
親が自分(人)を創造してくれたとき、意識的であれ、無意識的であれ、
このような人間に育って欲しいという“願い”を持っていると思います。
その“願い”は、DNAに刻まれていたり、名前に表れていたり、生後の親
からの言葉による伝達によって受け継がれます。
人は何のために生きるのかの“何”がそれなのかもしれませんね。
自分(人)の創造者のこのように人間に育って欲しいという“願い”のため
に、人は生きているのかもしれません。
だれしも、人が成長したとき(努力の末の成功など)に、その姿(結果)
を誰かに見せたい(伝えたい)と思いますよね?
そんなときに、その姿(結果)を見せたい(伝えたい)最有力候補に両親が
あがってくるのは、そのためなのかもしれません。
本能として、生きる目的を創ってくれた人に報告したいのです。
姿(結果)を見せ、報告するという行為は、自分が成長している今の姿が
創造者の“願い”と一致しているかどうかの確認作業ともいえます。
自分のために自らが努力し成長する行為は、姿(結果)を見せたい(伝えた
い)相手がいるからできることであり、裏を返せば、自分の創造者である親
の“願い”のために努力しているといえるのかもしれません。
これが何のための“何”の基本目的であるのではと気づきました。
人は自分の創造者のために生きていたということを・・・。
結局、最初は、だれもが創造者のために(エゴで)生まれたのだから、
動物としてのヒトとしては、ヒトは創造者のために生きているというのが、
自然の流れなのかもしれません。
成長する姿(結果)を報告できる両親を亡くして初めてみえてきた
私が思う、人が生きる目的の1つでございます。
現代では(先進諸国の文化には)人権というものがあるので、それを
押し付けるような権限はだれにもないですけどね。
そういう文化圏では自分が思うように好きなように自分のためだけに自由に
生きればよいのです。しかし、何のために生きているかを見失い、創造者の
“願い”との確認作業を怠ることで、微調整が効かなくなり、“願い”と外
れた方向に成長し、いずれ創造者に報告できないような行動(罪など)を起し
てしまうかもしれません。
だから、先進諸国では人が創造者の“願い”を理解し、自らの力量で微調
整ができるように成長するまでは、創造者は子を養育する義務を担うのだと
思います。
私も、このスレッドで、今後の人生にとって大切なことをいろいろと
気づかせていただき、そして学ばせていただきました。
皆さん、ありがとうございます。