なすさん、こんばんは。旅人といいます。
壮大なテーマについて考えていらっしゃるんですね。きっとこれは誰にも
答えられない難しいことなんでしょう。ですが私なりの意見はありますの
で、ああ、こんな考えもあるんだなくらいの気持ちでお読みくださいね。
人はなぜ生きるのか。…私なりに言えば、人だから、ですかね?
人間はこの世に生を受けた瞬間から呼吸をしています。息を止めたってい
いんですが、ずっとそのままでいることはできませんよね?食べ物を口にす
ること、排泄すること、寝ること。嬉しい気分でいること、悲しい気分でい
ること、なんかイライラすること等々…。これらの行為は、〔自分がそうし
たくないとしてもそうせざるをえないこと〕ですよね。なぜ人は息をし続け
ないと生きられないのか。なぜ食べ物が必要なのか。なぜ『人はなぜ生きる
のか?』と考えてしまうのか。旅人の文章読むのはメンドくさいなと感じる
のはなぜなのかとか

。理由なんて分からないですよね。
そこでここはひとつ、人間は機械のようにずーっと全く同じ状態、同じ心
境?でいられるようにできてはいないから、そのぶんいろんな引出しがたく
さん用意されているんじゃないかって考えるのはどうでしょうか。これっ
て、人間が「人間として生きること」を前提に備わっているメカニズムとい
うことだと思うんですね。かたく言ってしまえば人間にとって生きることは
宿命なんじゃないかなと。
自分が機械であれば、これらのことを考えることすらしないでしょう?そ
れぞれに対しての引出しだってひとつずつしかありませんし。喜怒哀楽や悩
み、挫折といったものは「心」があって初めて成り立ちます。些細なことで
気持ちが沈んだり、些細なことで気持ちが明るくなったり、自分の気持ちが
分からなくなったり。またその気持ちを理性でどうにかコントロールしたり
しますよね。
私つくづく人間は面白いなって思うんですよ。いろいろな性格やいろいろ
な顔の人間がいる。いろいろな国のいろいろな境遇の違いもある。それでも
人は生きていく。いとなみつづけていく。なんかスゴイなって思いません?
「人は死を迎えるために生きる」「人は生きるために生まれた」というふ
たつの見方があります。どちらの解釈が正しいのかは私には分かりません
が、少なくとも私は後者を選びたいと思います。いつくるか分からない死な
ら、自ら死を選ぶことはせず、一日一日を充実させて生きていきたいなと感
じています。
…またクサい文章を書いてしまった…。旅人はロマンティストな詩人では
ありませんので、みなさんどうかよろしく

。