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159 まーくへ
他のスレッドで同じ名前があるから名前を戻そうかとも思ったけど、そのままの名前でお返事しますね。
ご無沙汰していますが、まーくはどうしていますか?
私はこの夏1ヶ月入院していました。
任意入院で、開放とか閉鎖の区別のない「急性期病棟」という所でした。
そこは別ドアで仕切られてある、お風呂の時(何日おきかはわかりませんが)にしか看護師さん付きで出てくる保護室の人。
先生の判断で個室でカギを掛けられている人。
個室だけど自由に出入りできる人。
相部屋で自由に出入りできる人。
様々な人がいましたが、共通しているのは…病棟自体がカギがかかって閉鎖されているという事です。
これだけ聞くと、症状の重い人も軽い人も一緒にされているだけのようですが、この病院だけの特別ルールみたいなのがありました。
個人個人に担当医師から「責任レベル」を与えられるのです。
これはその時の症状や患者との話し合いで変更も可能でした。
A-Tは院外へ付添い者(身内か看護師)ナシで、届さえ出せば(各レベル共通)外出可能時間帯に出掛ける事が出来るレベルです。
病棟のカギを開け閉めしてもらうのに看護師さんのカギが必要なだけで、開放病棟と変わらない状態です。
私物管理もタバコも電話も面会も自由。
A−Uは院外へ付添い者がいれば出掛ける事が可能なレベルです。
私物管理関連はA−Tと同じです。
B−Tは院外には出られず、院内であれば付添い者ナシで出掛ける事が可能です。
私物管理関連はA−Tと同じです。
B−Uは院外には出られず、院内であっても付添い者が必要なレベルです。
私物管理だけは、医師や看護師さんの判断で個人の状態を見て詰所預かりになる物もあります。タバコ・電話・面会は自由です。
Cは病棟内だけに行動範囲が限られます。
私物もタバコも医師の許可によって少し制限を掛けられる場合があります。
電話や面会は自由です。
Dは保護室の中だけの生活です。
私物管理はさせてもらえません。
タバコ・電話・面会も自由には出来ません。
私の場合ですが、A−UとB−Uの両方をもらっていました。
実質的にはA−Tでも構わないんだけど、最初の1週間は完全に休む意味も込めてそのレベルに先生がしてくれたのですが。
先生の許可さえもらえれば、一人で外出・外泊出来る事になっていたので、入院中の普段の生活では病棟から出る必要性が全くなかったし…先生には退院するまでA−U・B−Uのままにしてもらっていました。
表向きだけ?

病棟自体は「急性期」と名が付くだけあって
長期入院という人は珍しいようです。
集中的に治療をして、早く社会に戻る為の病棟でした。
まーくの言っていた「他の人の症状に振り回される」という体験、しましたよ…。
私は結局うつ病というよりはボーダーなので、それに関しての症状なら多少は理解できるので対応できるのですが…同室の人の症状に振り回されて、入院が延びました( ̄  ̄;)
2週間の予定が1ヶ月に。
自分と違う病気の人の症状がわからないってすごく怖いと思いました。
ひどいうつ状態になりましたが、そこは逆に恵まれた環境のおかげで立ち直りましたけどね♪
看護師さん・看護助手さんはみなさんとても親切でした。
先生も自分の休みの曜日以外は必ず診察をしてくれて、話を聞いてくれたし。
…何といっても、その病院は通院先の先生に紹介してもらった2つめの病院だったんですが。
うちの先生が木曜日の午後は休診にしているのは、そこの病院で木曜の午後に臨時医師として診察していたからでした(爆)
木曜日は担当の先生がお休みだったので、木曜日にはいつも話し慣れている先生の診察が受けられたので、気持ち的にもすごく楽でした。
その病院には「休養入院」が目的だったので、それだけでした。
通院は元の病院にすぐ戻る事が出来ました。
色々大変な事はあったけど、得たものもすごく多かった。
同じ症状で苦しんでいる人のアドバイスもたくさんもらいました。
自分を抑えきれずにキレている人もいたけれど、その時の片付けを手伝ったら…後から「あの時はありがとう、ごめんね。でも嬉しかった」ってこんな私がいて良かったと思ってくれる人もいたし。
入院中の病院の段取りがわからなくて困っていたら、どんな事でも教えてくれるお母さんみたいな人がいて助かったし。
「あんたの笑顔があれば今日も幸せだ」って言ってくれるおじさん達も何人もいたし。
逆に沈み込んでいたら「また元気になったらいつもの笑顔でね♪」って言ってくれた。
遠くの病院に入院したのに、それでも面会に来てくれた友達も何人もいた。
同じ部屋の同じ年の友達は、お互いに調子の悪い時に他の人が関わらないようにすごいコンビネーションで入院を乗り切った。退院したのは同じ日だった

彼女とは毎日眠れなくて苦しい思いをしていたんだけど、退院も間近の数日…看護師さんには内緒(ラウンドでバレるけど)で同じベッドで寝てたら頓服飲まなくても眠れた。「薬より効くよね〜♪」って。今もたまに手紙をやり取りしてるよ。
入院したのは一人だったけど、入院中は一人じゃなかった。
みんなで支えて、みんなに支えられて生きているのを身に染みて感じたよ。
そこの担当の先生からも「周りを変えるのはとんでもなく大変。時間も労力も掛かって疲れ果てても、ホンのちょっと変わるか全然変わらないかくらい。でも自分を変えるのは自分次第でいくらでも変えられる」と言われてね?
…なんだか目からうろこが落ちたってこういう事なんだなって。
だから退院してから私はすごく変わったよ。
リスカは1度してしまったけど、ODは一切しなくなった。
アルコールも半分に減らした。
通院は週に2回だけど、先生にちょっとの事でもなにか変化があればいい事も悪い事も話してる。
おかげでよく褒めてもらえるようになった。
「そこまで考えられるようになったのはすごいですよ♪」って。
自己分析まで出来るようになった。
抑え込んでいる自分がどこかにいるのは確実だから
それをいかに発散させるかが今抱えている問題だけど。
「そんなに我慢しなくても」と先生は言うけれど、今はまだ我慢しないと…ヘタすると離婚まで話が進んでしまうから。
こんな私に旦那は毎日嫌味ばかり。
「出ていけ」とか「お前は全然変わってない」とか平気で言われる。
その度に落ち込むけど、上辺だけ笑って誤魔化せる自分が出来た。
強くなる事が今の私の精一杯。
今の私は自分の入院費を払う力も貯金もないから。
夏の入院費も自分で払ったしね。
死なないよ。生きるから。