いじめには、被害者、加害者、茶化す観衆、見て見ぬふりの傍観者、無関心者、稀に被害者を労る慰労者・擁護する仲裁者が存在。野々村県議問題についての取り沙汰、それぞれのいじめに対する潜在意識がその行動に投影されているようにも見える。我が行動を客観視し、過ちを犯さないよう戒めるチャンスである。
野々村県議問題、確証はないが彼は過ちを犯したのだろう。とはいえ、ネット上で起こっていることは完全なる集団いじめ。わかりやすく言うと、実際に身近でいじめが起こっている・起こったとき、その時、どのような行動をとってしまうかが、無意識に野々村県議に対する反応に表れてしまって
いるということだ。
罪を憎んで人を憎まず、野々村県議がやってしまったかもしれないことは犯罪、彼自身が反省し国民に謝罪し罪を償えば良い。血税に手をつけた罪に対してたたかれるのは当然、しかし彼の発言や動作、人格をオモチャにして集団で茶化すのは違う。
野々村県議の発言や動作を加工し音楽に乗せ動画配信、画像を加工しコラージュを配信、他人を茶化しオモチャにして遊ぶ。面白がってそれを拡散。精神的成長過程にある小中学性の行動ならまだ理解できるが、成熟した大人の行動ならとても悲しい。罪には無関心、面白ければ良い。
いじめの問題は根が深い。
みんながやっていると普通のことだと錯覚してしまう、群衆心理の怖いところで、私も最近一度、悪びれることなく自分の発言に彼の発言「この日本…世の中を変えたい」を流用してしまったことがある。冷静になってみれば、罪とは関係ないところでからかっている。反省しないといけない。
一般の個人だけではない、公共の電波を使い、面白がって野々村県議のモノマネをして世間を煽るテレビ局やタレント。面白ければそれで良い、みんな立派な大人がやっていることだ。こんなことをやっていて、どうやって子供たちに、いじめは悪いこと・いじめをしちゃいけないなんて教えられるのか…。
このような問題に対するネット上の動向を見ていると、学校の中で何をきっかけにいじめが芽生え、どのようにエスカレートしていくかがよくわかる。人と違うことをすると、みんなと同じじゃないと集団で叩き潰し、行き着く所までいかないと終わらない。こんな日本でどうやって個性が育つのだろうか。
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