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先頭から

幼児教育制度の意義とは?

記事 34 by
超長文で失礼します。
幼児教育に関する私見を述べさせていただきます。
ーー
自分は、人間の躾を犬の躾との関係で考えています。
人間と犬を一緒にするなという意見もあるかもしれませんが
自分は、基本的な部分は同じではないかと考えていたりします。
損な観点から、教育について私見を述べさせていただきます。

かみつく犬を躾ける場合、リードを短くもちコントロールする
リードウォークが有効と聞きます。

褒めて躾ける「陽性強化」は「問題行動を改善」するには時間がかかるらしく
用途により使い分けるのがよいかもしれません。
(餌でつるのは芸を覚えさせるには良いが、悪戯を止めるには向かない?)

褒めて育てる「陽性強化」で気を付けなければいけないことは
「ワガママを褒めてしまう」こと、かと思います。
駄々をこねている子供をおとなしくさせるため
お菓子を与えてしまうといった対応ですね。

全体としては叱るより褒めて育てたほうがよいと思いますが
特に人に迷惑をかける行為 禁止すべき行為について
教えるには「褒める」より 不利益や制限を課する方が適している
というような使い分けが必要かと思います(私見ですが)
さらに、人に迷惑をかけなかったときに「褒める」も併用

自分の経験になりますが
小学生1年のとき、注意された先生に唾を吐きかけた子供がいました
後で聞いたところ彼は家庭の事情で問題を抱えていたとのことでした
もし彼が違った環境に生まれていたらどうだったろう
更生させることはできなかったのだろうかと思うわけです。
(唾を吐きかけていた子は、どうしてそれを覚えたのだろう?親からされたのか?…と)

もしかしたら彼らは生まれつきそういう性質なのかもしれず、
たとえサリバン先生が彼らを教えても矯正はできなかったのかもしれません
また、バタフライエフェクトなどがあり天気を100%完全には予測できないように
人間の行動も予測は難しいかもしれませんが、それでもある程度予想がつくのであれば
「治水」はすべきではないかと考えるのです。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
親は皆、子供の人生を「成功させたい」と思って、成功体験を漁るかもしれませんが
それ以前に最低限「失敗しない」子育てができないかと考えます
つまり「子供を犯罪者にしない」子育てについて

過度に抑圧されていた人が事件を起こすこともあり
愛情と、躾けのバランスとは思いますが、一般的に「やんちゃ」で事件を起こす人は
溺愛され甘やかされていたというような話をよく聞きます。

全ての馬がサラブレッドのようにはなれないでしょうけど
全ての犬は躾で性格を安定させられるとのことですから
まずは「失敗しない子育て」を目指すのはいかがでしょう

「子供のあるがままを認めるのが良い」という子育て論があります。
単にキャッチーさを求めて極端な言い方をしているだけかもしれません。
自主性をはぐくむため、何もかも親が決めない方が良いと思いますし
言葉がわかるようになったら、一方的に押し付けるのでなく、
自主性をはぐくむためにも、対話するのが良いと思いますが
ただ、他者を害するようなことは基本「禁止」が必要だと思います
犯罪になるような行動は本能だけで言えば「正しい」行動の可能性もあります。
そして、本能に逆らわなければならないようなことをさせるのであれば
餌(利益)でつる方法(陽性強化)だけでは限界があるかと、個人的には思うのです。

チンパンジーは自然の状態で同族殺しをするといいます。
性犯罪のほぼ100%は男性によるものとのことですし
性別や、その子の性格などでもで育てやすさは異なると思いますが
「あるがまま」の「野生の人間」でよいとは自分には思えません。
現代社会のストレスや欲望にさらされてもタガが外れないような
「ロック」が必要だと思います

本能に従順な人間の方が子孫を残せて良いという主張もあるかもしれません。
当然、本能に従順な方が、子孫を残せる確率は高まるでしょう。
しかし、その場合、犯罪者になってしまうリスクも発生します。
その際、どこに線引きをするかと考えれば、より安全な方をとりたいと思います。

親の目線からは、躾をすると「子供がかわいそう」と思うこともあるでしょう
物事には多面的な見方があると思います。
物事について「良い」「悪い」という場合、常に「誰にとって」かを意識したいです。
躾について、「躾を受ける当人にとっては」不自由なものだと思います。
しかし、社会秩序を維持するため人々が共に生きるため(社会のために)必要
ということになるのかと思います。
ヘレンケラーの父母は体の不自由なヘレンを憐れみ、甘やかしてわがままにしてしまい
サリバン先生の力を借りることになりました

こう言うと、逆にスパルタ教育が最高だという人もいるかもしれません
感情のおもむくままに殴っていれば躾できると
時々、犬を蹴って躾けようとしている人が問題となりますが
ああいうことをすると、犬が不安定になったり、人間不信になったりするそうです。
躾は、暴力や暴言を用いずとも都度行動を制する
リードウォーク的な方法で行えると信じます。
ただ大人の方が時間がかかるし、抵抗も大きく、強いショックを受けて
鬱になったりもするので、できれば子供のころに恐怖を伴わず
やっておいた方が良い、と思うのです。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
どの家庭も、躾を間違う可能性はあるはずだと思うので
自分は、安全装置としてより多くの人が子育てに関われないかと考えます
幼児期の学校のようなものができないかと(あるいは現状を強化できないかと)

個人の問題で自業自得。「自己責任」に任せ放っておけという意見もあると思いますが
放っておくことで治安が悪化するなら、世の中のためにも
安定した人格形成は大事ではないかと思うのです。

現在の世の中では
「人間はどんな生まれ、どんな環境にあっても理性的に行動ができる」という前提
「それができないのは努力が足りないだけだ」という精神論で運用されていると思いますが
自分は精神も脳の物理現象であり、原因があり結果があると考えますので
放っておいて人間が勝手に理性的に育つとは思いません。

※個々人の心のありかたとしては、実際に能力に限界があるのだとしても
 自分の限界を自分で決めてしまわないよう注意が必要だと思います。
 逆に、他人の限界を勝手に決めないような注意も必要に思います。

一方、「ならぬものはならぬ」という躾と矛盾するようですが
善悪などの価値観は絶対ではないということも
伝えていくべきと自分は思っています。
物事の価値は人の心が決めるもので絶対ではないはずですが
相手を「悪」とすることで、必要以上に攻撃的になり、
「自業自得」などと、思いやりを忘れ争う元になっているように思います。

どうしても利害が対立する場合は、どちらが悪とかでなく、
それぞれの「都合」として争う必要があるかもしれませんが、
そうでない場面では、できるだけ争いを避けたいと自分は思います。

ー【補足】ー
「物事の価値は人の心が決めるもので絶対ではない」というのは
一部の宗教の人には通じないかもしれません
「神が決めた価値は絶対だ!」という話になってしまいますので…
そして、やはりそれが戦争の元にもなっているような気がします。

神が「いる」「いない」どちらとも言えないのが正直なところでしょうけど
自分ならば、そこはあいまいにしつつ、
それぞれの神の言い分が違うことを利用して、こう言いたいです

あなたは、あなたの神が絶対だという
でも、あちらの人は他の神が絶対だという
果たして、各々の神が決める価値は絶対なのでしょうか?
お互いの間をとって、各々の「神の都合」とは考えられませんか?
互いの都合が対立しそうなとき、普通は話し合って折り合いつけますよね
相手の言葉にも耳を傾け、お互いの言い分を調整して
無用な争いは避けますよね、と

長年培った信仰がすぐ変わるとも思いませんが・・・ 
少なくともお互いを尊重し認め合うくらいにはなってほしいですね 
信仰は個人の自由ですから、あまり干渉できませんが

それから、勘違いを受けそうな内容のため、あえて言っておきたいのですが、
自分は、「物事の価値」は人の心が決めたものだと言っていますが
一方で、それを生み出した心というものは存在するのだと思っています。
例えば「人権」は人が作った概念だから無視してよいということではなく
その価値を生み出した「人の心」というものはあるのだと考えます
特に、世に広く認められている価値観については注意を要すると思います。
人権なんて元々存在しないので、むしろ人を害する方が良い
など逆へ極振りすることなく、そのもととなった「心」に寄り添いつつ
その価値を生み出した「意図」をもとに
そのおおもとの意図に即しているのか、といったところから考えたいと思います。

□□□□□□□□□□□□□□□□□
人間の行動(脳の活動)も物理現象であり、
他の自然現象と同じように「必然」であるとするならば
どんな環境に育っても人間は理性的に育つことができる
「精神力」があればなんとでもなる、と楽観視して放置すべきでしょうか。

問題が起きる原因があるのであれば、それを改善できないか
そう考えるのが科学的態度ではないかと自分は思うのです。

現在、科学が進歩するにつれて、人間自身(脳)のこともわかってきて
「科学的」には、「自由意志」の存在は、ほぼ否定されているかと思いますが
「社会的」には逆に「自由意思」が当然のものとされています。
社会を維持するうえで、犯罪を罰したりする都合上、都合が良いので
方便として使われ続けてているのかもしれませんが。

善悪などの価値が絶対でなく、かつ、精神力など存在せず
すべての犯罪が「必然」であるなら
犯罪者を罰することはできないのではないかと考えたことがあります。
でも、今は、「絶対正義」などと取り繕わず「誰か(社会)の都合」で罰する、
と言ってしまってよいのではないかと思っています。

そして、誰かの「都合」で罰するというのであれば
できるだけ「予防」し、未然に防げたら、と思うのです。

人の思考は「脳の活動」であり、物理現象である、と
抽象的に言っても伝わらないかもしれませんので
具体例をいくつか挙げてみます。

[1]物理的に脳にダメージを受けて半身不随など行動に明らかな異常が起きる
[2]先天的な脳の異常(ダウン症など)で無気力になる
[3]麻薬による精神異常
[4]胎内にいた際の母親の飲酒の影響による脳の異常
[5]子供の頃の虐待により、精神にダメージを受け、消極的になる
[6]前頭葉の障害により怒りが制御できなくなる
[7]脳内麻薬により「麻薬中毒」同様の状態となり、ギャンブル依存症になる
[8]極度の鼻づまりの人が「酸欠」に近い状態となり集中力、思考力が劣る状態になる
  同様に心肺機能が弱いために脳に十分血液が回らず思考能力が落ちる

若い番号ほど、分かりやすく「しょうがない」と思えるかもしれません
数字の大きいものほど、「怠けているだけ」ととられることでしょう
でも、数字の大きいものも当人にはどうしようもない問題なのかと思います。
現代人で麻薬に侵されても自分だけはまともでいられる、と信じる人もいないと思います。
脳のことがあまりわからなかった昔は、ダウン症なども怠け者と言われたかもしれませんが
現代でも、脳のことはわかっていない部分も多いです。

人間は自分を基準に考えがちで、外見上大きな違いがない場合、
自分ができることは他人もできるはずだと考えがちかなのかと思うのです。
ときどき、怠け者の人間を助けるくらいなら、動物を保護しろ
というような意見を目にしますが、おそらく動物は一所懸命生きているが
人間はそうではない、と思っているのでしょう。
なまじ見た目が似ているために、同族に厳しくなる、ということかと思うのです。
でも、脳を含め本当に「同じ」だと言えるのでしょうか。
「同じでないから」行動が違う、と考えるのが自然だと自分は思います。

精神論で「努力が足りない」と言う場合
このような事例をみて「自業自得」などと言っているのかもしれないのだと思います。
そして、病気とまでいかなくても、幼児期の環境が、子供の性格に大きな影響を与え、
無垢な子供たちを将来の犯罪者にしてしまうとしたら、
それを「自由意思」による「自業自得」と放置できるでしょうか。

先にも言った内容の繰り返しになりますが、
「自由意思」が存在しないとして、実際は全てあらかじめ決まっているとしても
個人の心の持ちようとしては、自分の限界を低く見ず、挑戦すべきと思います。
逆に、他人の限界を勝手に決めないようにもしたいと考えます。

□□□□□□□□□□□□□□□□□
これをもとに具体的な政策について考えてみたいと思います。
仮に、人間の行動はすべて必然であり「仕方がないもの」だとしても
犯罪者や不労者を「社会で無償で養いましょう」などといったら抵抗が大きいと思います。

先に、「他の動物なら許されるのに人間は許されない」との話をしましたが
さすがに、自分でせっせと耕した畑を野生動物に荒らされて
「野生の獣のすることだから仕方ないね」とはならないはずです。
それは、相手が人間でも同じことだと思うのです。
畑を耕してその成果を得られると「期待」していたのにそれが裏切られる
そんな事態を人間は許容できないだろうと思うのです。

それは、純粋に「実利の問題」であり、もう一方で「健全な社会維持」の問題と考えます。
「働かなくてよいようにする」という政策が「怠け者」を生み出すのは
歴史が証明しているところだと思います。

そして、耕した畑(自分が得たお金)を働かない他者に奪われる
のが許せないという問題について、許容できる妥協点はどこかと考えました。
「自分であれば」働かない人を養うことは許容できなくても
「働けるような状況を作る」ためにならお金を出せる、と考えます。
具体的な政策で言えば、ベーシックインカムのように「働かなくてよくする」政策
でなく、「積極的労働政策」のように、「働けるようにする」政策ということです。

□□□□□□□□□□□□□□□□□
長らく脱線しましたが、ここで幼児期の教育の話に戻ってきます。
「働かない人間を養う」のでなく、「働けるようにする」
その最たるものが教育かと思います。
そして、三つ子の魂百までというように、幼児期の教育は重要なのだと思います。

以前アメリカで実施されたペリー幼児教育計画 という政策について目にしました。
幼児期の教育により、対象者の犯罪率の低下、経済効果が見られたというものでした。
その後、進んでいないところから、実施面で困難な問題があるのかもしれませんが
もし、そのような効果が認められるのであれば、やってみてはどうかと思うのです。

成果がでるのが遅い政策というのはとかくないがしろにされがちと思いますが
子供たちの将来のため、世界の未来のために投資をするというのは
大事なことだと自分は思います。
そのために皆で負担をするということはできないものでしょうか。

当然、税金を無駄遣いできるものではありませんので
当面は、できるだけ出費を抑えられる方法からスタートしてみてはどうでしょう
□□□□□□□□□□□□□□□□□
[1]子育てに関して若いうちから考えられるよう、
 学校教育の一部として「子育て教育」の時間を設ける
 (正解を教えるというのでなく、何パターンか示し、話し合うような形態で)

[2]ペリー幼児教育計画のように、一部の貧困者、みなしごなど限定で
 試験的に無償幼児教育をスタートする
[3]保育関係の学校を増設するのは難しいかもしれないので、
 既存の学校に学科を追加する形で増やす
[4]保育所を増やす(土地の問題があるので、すでにある公共施設を増設する)
  極端な話、市役所の敷地内に保育園を増設するといったことはできないでしょうか

[5]性犯罪が少ないということで「適正」があると思われる女性を
 多く保育の仕事に登用する

□□□□□□□□□□□□□□□□□
[5]に関して、医療関係では女性の合格ラインを上げる問題があったと思いますが
逆に女性の雇用を確保することができ、保育が整うことで
子育て支援、少子化対策にもならないでしょうか。

おそらく逆差別との意見も出るかと思います。
男性の方が自殺率が高く、むしろ男性を助けるべきとの意見も目にします。
(そもそも男性は免疫的には女性より弱く、寿命も短い、と。)
しかし、果たして男女格差の問題は、いずれかを利すると逆サイドが不利益を受ける
「ゼロサム」な関係なのでしょうか。

先に出た自殺率の問題、未婚者の男性の自殺率が高いとの話もあります。
未婚率の上昇にはいろんな原因があることと思います。
一概には言えないと思いますが、もしかすると
女性の生活を安定させることで、結婚相手について
必ずしも高収入な相手でなくてもよい、と、選択肢が増えることに繋がれば
それが未婚率の低下につながり
女性の活躍が結果的に男性の自殺減少にプラスに働くことはないものでしょうか。

意地悪な見方をすれば、女性は自分が収入を得ても
相手には高スペックを求め、あるいは収入にあぐらをかいて結婚出産しなくなる
ので変わらないとの意見もあるかもしれません
でも、スウェーデンのように共働きが主流でも
少子化対策が成功し、出生率が回復している国もあります。

男性の自殺の問題は「生」の問題、女性は風俗などで稼げるため「性」の問題
比較すると女性の方は、さほど深刻でない、との意見もあるかと思いますが
自分は、軽重の問題はあるものの、「どっちも問題」だと思います。
そして、その根っこは似た問題だったりしないでしょうか。

男性の職を奪う、という懸念については
保育の分野、現在人員が不足している分野に積極的に女性を採用していく
つまり「新規分野」であることにより、既存の職も奪わずに済む
ということはないでしょうか。ウィンウィンな関係を目指せないでしょうか。
(これはあくまで一例ですが、方向性として、そのように考えられないでしょうか)

よく、ジェンダー問題、性別間の対立のようなものをSNSなどで見るにつけ
いずれの陣営も「原理主義」に陥っていないかと感じたりします。
両者「○○は当然の権利だ」というような主張を繰り返しているように見えます。
「権利」というような価値観も絶対ではなく、互いの合意で成り立つもの
一つの権利が他の権利を侵害することもあるという意味で相対的なものかと思います。
そう考えると、「当然の権利」という言葉を「一方の都合」と言い換えて
一度視点を引いて、それぞれの妥協点を見いだせないか
考えてみても良いのではないかと思ったりもします。その方が、
「男(女)がずるい」などと足をひっぱり合っているより建設的ではないでしょうか。

□□□□□□□□□□□□□□□□□
いろいろととっ散らかってしまいましたが
「人間はみな、どんな環境にあっても理性的に育つはずだ」という精神論を捨て
ものごとにはちゃんと原因と結果があるのだと考えたら
幼児期の教育の大切さ、というものが見えてこないでしょうか。
子供の教育は未来のための投資だということが。

自分の挙げた具体的な政策案は素人考えで、役に立たないかもしれませんが
教育問題を考えるたたき台として、見ていただければ幸いです。
こちらをもとに皆さんのご意見をあげていっていただければ嬉しいです。
To:ヒカル

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2022年1月30日(日) 18時26分 1件目のコメント
コメント 35 by ヒカル
しょっぱなに誤字をしてしまいましたので訂正しておきます
損な観点から → そんな観点から
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
修正ついでに、公務員の異動に関する疑問を投げかけてみます
国の予算で一度できた部門は、時代の変化で仕事が減っても
なかなか「首を切る」ということはできないと思いますが
需要がでてきた新しい分野を新規に立ち上げる場合
省の垣根を越えて「研修」して「異動」とかできるんでしょうか
国の予算って「変化」に対応するのが難しいと思うのですが
そんなとき、「削減」できないまでも「異動」ができる仕組みがあれば
変化に対応しやすくなるかも、、などとふと思いました。
この投稿に返信
2022年2月1日(火) 20時14分違反通報親記事 2件目

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