>>
489 sakaさん
あっ、ごめんなさい。 取り合えず順を追ってお話します。
当時、私は好きでやりたい仕事をやっていたのですが、
倒れるまでやるほど好きだったのではありません。
何故倒れるまでやり続けてしまったのかと言うと、単純に失恋の痛みを紛らわす為です。 ある程度仕事がこなせるようになった頃の失恋でしたので、そこに逃げるしかなかったのです。 とにかく自分の時間を持つ事が恐かった。 だから考えなくては出来ない仕事に逃げていたのです。 その時に私が思った事は、自分の好きな仕事は限界を超えてまでするもんじゃない。でした。
好きでやっている仕事を余り自分を追い詰めるほどやってしまうと、その後がなくなってしまいます。 それ以外に出来なくなってしまうし、それすらやりたくなくなってしまうのです。
それが嫌いになってしまいます。 そうなると、何処にも逃げ場がありません。 それこそ、何をしたら良いのだろう? どうすればいいのだろう? どん底の迷い道から出て来れなくなってしまいます。
そこで、考える事が、自分に何が出切るだろうって、悩みますよね?
どんな事ができるだろう? 何が自分に向いている仕事なんだろうってね。 でも、それでは答えに詰まってしまいます。
自分は自分でしかない、それ以上でも、それ以下でもない。
自分が何かを知らなければ、何をしても立ち止まってしまいます。
そんなに立派な答えじゃないんですよ。
私は自問自答をしてみたら、自分なんてちっぽけな存在だからこそ、小さな事の役に立てばそれでいいやって、なげやり半分悟り半分でここまでやってきました。
仕事をやっていて何かを学ぶ。 例えば人間関係や上下関係。 機械のノウハウやJIS規格。 人の冷たさや暖かさ。 仕事に限らず、人って係わっている以上何かを学んではいないですか?
無駄になってる事ってそうそうはないと思いますよ。
何もしないをしている。 無駄を楽しめるような精神的な余裕と言うか、遊び心というか、遠回りを恐れない向う見ずさと言うか、上手く表現できませんね。 要するに精神論になってしまいますね。
誇りを持つなんて立派な大儀名文なんて最初は要らないんですよ。
下らない、つまらないってさえ思わなければね。
こんなんで良いですか?