「私はこれだけの暴力に耐え忍ぶことができた、それほど彼のことを強く愛しているのだ」という錯覚の愛により自我を支え、納得している。耐えれば耐えるほど愛着が強まり逃れられなくなる。実際は愛着ではなく執着という中毒症状。ここまでくると第三者による離脱支援が必要になる。
また、恐怖や見栄、羞恥心などから人に相談することなく暴力に耐え忍んでいる被害者もいる。
そういった様々なしがらみから自我の心を守るために最終的に「これだけ耐えられたんだから彼を愛しているんだ」という錯覚の愛を納得条件にして耐え忍んでいるいる被害者は多い。そうでも思わないと心が耐えられない…。
被害者本人が認めなかったり、救いを求めないため、第三者の気づきによってDVが発見され、救われるケースも多い。そう考えると、現在では希薄になってしまった近所付き合い、ご近所さんとのコミュニケーションがいかに大切かということを痛感させられる。
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