杏子さん
私の母がまだ独身の頃の話です。古くてすみませんが、ご勘弁を。
当然私が生まれる前です。
実家と福知山線の線路を挟んだ先にグンゼの工場があります。
その工場の横、田圃のあぜ道を50mほど行くと、実家の先祖が入っているお墓があります。
昔のことだから、土葬です。コワイナー
母は友達と3人でグンゼの工場付近で夕涼みをしていました。
ぼつぼつ、夕暮れが迫ってきたので家へ帰る事になって家の方を見ると
大きなだいだい色のたぶんスイカ位の玉が実家の屋根を飛び越えてゆくところでした。
3人は、瞬間的にそれが火の玉だと思ったそうです。
その大きな火の玉は、尾を引くこともなく、まん丸で中に小さな火の固まりが5〜6こ絡み合うようにうごめいているように見えたと言っていました。
3人は顔を見合わせるだけで、誰も口をきかず、ただ早足で自宅に歩いたそうです。走ると後ろからなにかが来るような気がしてはしれなかったらしい。
家の明かりが間近になって思わず「わー」っと叫び声がでたそうです。
とたんに3人とも、縁側にいたおじいちゃんにその事をてんでに話し出したら、おじいちゃんもその火の玉が家のまだ先の畑を越えて飛んで言ったのを見ていたとのことでした。
おじいちゃんはその時ふと思ったそうです。
その方向には2〜3週間前に赤ちゃんのお葬式を出した家がある。
その、赤ちゃんがお墓から帰ってきたんだと。
で、そのお葬式を出した家に挨拶がてら行って昨晩の事をはなしたそうです。
その家の若夫婦は黙って聞いていたそうですが、お嫁さんの方が泣きながらいうのですって。
「もし、そんなことが有ったのなら、なぜ昨日の晩におしえてくれなかった。火の玉になっていても自分の子供に会いたかった」
そう言って、泣いたそうです。
もう、40年以上前のお話ですが。
・・・・・・・
その、数十年後、
今度は、その母の事です。
私は若い頃、船員をしていました。
日本には、年に3ヶ月ほどの休暇をまとめて取ります。
母は、もう何年か寝たきりのような状態が続いていました。
新婚時代の私は、もうこの休暇がお袋との最後だと思っていましたから、毎日お袋の病室へ行って看護の手伝いをしました。
嫁さんにはマザコンだとか、色々言われましたがこの機会を今までの親不孝の穴埋めにと、出来るだけの事をしたつもりです。
たぶん、お袋もうれしかったと思います。
休暇もあと1ヶ月を切ったころから、少しお袋の様態が安定してきました。
それで、今度は嫁さん孝行です。せっかくの休暇で、次はまた1年後ですから、貴重な時間です。旅行も映画も外食も・・・
で、会社から乗船指令がでて私はまた船の上。
今度の船は、なに丸だったかな?確か新雄丸だったと思います。
6万総トンの鉄鉱石運搬船で、アフリカのマプト(旧ローレンコマルケス)で積んで、ベルギーのアントワープ卸し、空船でインドのマドラスかどっかで積んで日本の新日鐵揚げだったと思います。
シンガポールのマラッカ海峡を抜けてインド洋に入るとマプト港
までは10日間、新婚間もない私は退屈な航海を続けていました。
マプトでは先船がいて、荷役は沖荷役になりました。
沖に錨を降ろして、そこで待っていると、バージと言う台船が1万トンほどの鉄鉱石を積んで本船に横付けします。それを丸1日がかりで本船へ積み替える、こんな事で1週間以上かかりました。
私の仕事は無線通信士で、日本の長崎無線が本船宛の電報を持っていることを何日か前から知っていましたが、港内では無線の発信は出来ませんので、その電報を取ることが出来ません。
会社関係なら、陸上経由でテレックスで来るはずだから、乗り組み員個人宛の電報だと言うことも察していました。
そんなこんなで、出帆後、私の上司(通信長)が、出帆あけで自室にいた私の部屋のドアを叩きました。
母が死んだと言う電報でした。
個人電報はその内容に関して絶対に洩らせない秘守義務が有ります。
通信長が言わなければ私以外は知りません。
私は、乗り組み員仲間に変な気遣いをされるのを嫌い、誰にも言いませんでした。
次の日の夜だったと思います。
船は南アフリカの沖を南下し、喜望峰を通過する手前でした。
当直中の私がブリッジへ上がって、いっぷくしようとしていると、
同僚の航海士がログブックに何か長文を書いています。
聞くと、変なだいだい色に光るボールのような物が、船の周りを2回まわって消えたと言うのです。
どんなボールだったかを聞くと、子供の頃にお袋に聞かされた火の玉と
そっくりで、中にムラムラと燃える火のような物がうごめいて見えたと言うのです。同じ時間に当直に入っていた操舵手も見たそうです。
私は、お袋の霊が遙かアフリカ沖まで来たのだと思いました。
ただ、昔の若夫婦と私の違いは・・・
当直が終わって自室へ戻った私は日本の方角へ向かって母の霊に言いました。「会いに来てくれてありがとう、だけど怖いからもうでてこないでね」 真剣に祈りました。
私は結局そのどちらの火の玉をも見ていませんが、たぶん本当だと思います。航海士の書いたログブックは、まだ残っているでしょう。
彼が言った火の玉と母に聞いた火の玉の話が同じ物だと今でも信じています。
長々と書きました。ゴメン