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207 purinさん
身に迫るお話頷きながら読まさせて頂きました。
>悪い方に考えないようにしていても”美味しい?”と
>言っても相手が無言。ご飯たべるの?と聞いても
>無言。そんな生活を私はおくっていました。
一言一言が私にも心当たりの事柄が多く、反省しています。
妻が酔っているときには顔も見たくなくなり、
確かに無視をするようになりました。
それが妻をさらに追いつめていったのかも知れません。
夫婦は、他人が同じ屋根の下で一緒に暮らすようになるのですから、
それまでの環境、考え方が同じではないのは当然ですよね。
そうは思っていても、人間にはエゴがあり、
自分のことを中心に考えてしまう。
そして、相方が理解を示してくれなければ、
その価値観を、お互いに話し合って埋めるしかないのかも知れません。
私の場合、妻との会話で自分自身言葉を選んで話しているのが
いやなのです。
この言葉を言っちゃうとおしまいかな、と思うことが最近多いです。
ストレスを感じないで、お互いの価値観が同じで
私の思っている真意を素直に受けてくれる相方であったら
どんなによかったのに・・・・と述懐することしきりです。
私自身、喧嘩や暴力を好みませんから、
妻からの宇宙船のように飛んでくる皿の
割れた破片を片付けながら、
情けなくて悔しさが込み上がってきた日々。
価値観は言葉で埋め尽くされないのかと思っています。
逆に、適切でない言葉は人を逆上させてしまい、
新たな火種になってしまう、
そんな気がして、私は無言を決め込んでしまう。
悪循環ですよね。
話は変わりますが、私の両親も自営業でした。
忙しくなると、父は回りの道具を投げ、
母に暴力をしているのを見ることがありました。
それを見て、争い事に対して拒否してしまうのでしょうね。
腕力だけでなく、言葉も凶器になってしまう。
何があったら救われすのかと、
頭をかしげてしまいます。
仏教では、この世は(現世)試練の場といいます。
前世での因縁が現世で決着しなければいけないのでしょうか?
結婚は所詮違った人生を歩んできた者同士が暮らすのですから、
波風が立つのは当たり前なのかも知れませんが、
同じ風に乗って、進める相方に巡り会えるのは、
宝くじに当たるより難しいのかも知れませんね。
purinさんからの率直なご意見ありがとうございました。
貴女も自分の足下を照らしてくれる人が現れるように
応援しています。
闇夜